DF吉田、小学生の頃から「男気あふれていた」


前半、レバンドフスキ選手(左)をマークする吉田選手(28日、ロシア・ボルゴグラードで)=三浦邦彦撮影

前半、レバンドフスキ選手(左)をマークする吉田選手(28日、ロシア・ボルゴグラードで)=三浦邦彦撮影

センターバックとして相手FWをはね返し、味方のセットプレーでは敵の守備陣と激しく競り合う。攻守にわたり日本代表の屋台骨を支え続けるDF吉田麻也選手(29)。ポーランド戦を最少失点でしのぎ、決勝トーナメント進出を決めると、ぐっと拳を握りしめた。

小学生の頃に所属していた長崎市の「南陵クラブ」は1~6年生を合わせて、ようやく11人が集まるような小さいチームだった。当時コーチだった佐原秀信さん(48)は「6年生で主将を務め、その頃から男気にあふれていた」と振り返る。

同級生は4人だったが、吉田選手の実力は長崎市内でも知れ渡っており、小学6年の時、市の選抜チームへの打診があった。佐原さんがそのことを伝えると、吉田選手は開口一番、「(小学生)最後の年だからチームの勝利を目指したい」と断った。佐原さんは「自分のステップアップよりもチームを優先させていた」と懐かしむ。

小学校を卒業すると、吉田選手は名古屋グランパスの下部組織に入団した。高校を卒業すると名古屋に加入。選手として順調に実力を付けていったが、W杯には苦い思い出しかなかった。

2010年の南アフリカ大会の前には「代表定着のきっかけにしたい」とオランダへ移籍したが、左足の甲を骨折。自宅のテレビで観戦した。主力で迎えた14年ブラジル大会は、所属クラブで出場機会を失い、「不安しかなかった」という状態で臨んだ結果、1勝もできずに敗退した。

「ロシアでは、自分の全てを出し尽くす」。そう誓い、この4年間は、食生活を見直し、走力を上げようと、フォームを改良してきた。クラブでは毎年のように現れるライバルとの争いに打ち勝ち、センターバックとしてのチームの信頼を獲得。昨年4月には、世界中から屈強なFWが集まるイングランド・プレミアリーグで、日本人で初めて出場試合数が100に達した。

過去の2大会とは異なり、万全の状態で迎えた今大会。初戦でコロンビアを下した後には「(W杯での勝利を)8年待っていた」と叫んだ。その思いを満たす戦いは、まだこれからだ。

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