[サッカーの惑星]ロシア編(2)混乱・復興 クラブと共に

元市長のスタロバティフ氏。姉妹都市・広島との交流にも力を注いできた(昨年11月、ボルゴグラードで)=青柳庸介撮影

ワールドカップ(W杯)ロシア大会11開催都市の一つである、南部のボルゴグラード(旧称スターリングラード)。中心部から車で南へ約30分行った郊外の住宅街に、ベケトフスカヤという小さな駅舎がある。壁の石板には、ナチス・ドイツ軍の爆撃により駅周辺で72人が犠牲になったと記されている。凄絶(せいぜつ)な市街戦の終結から約3か月後の1943年5月2日、この地区で、地元クラブチームと、国内随一の名門スパルタク・モスクワによる親善試合が行われた。

3000人収容のスタジアムは荒れ果てていたが、「約1万人が詰めかけ、以来、サッカーは復興の機運を支える軸になった」と、ボルゴグラードの元市長、ユーリ・スタロバティフ(80)は解説した。市長時代は「少年少女が憧れ、住民の士気を高めるスポーツは街の発展に寄与する」とスポーツ振興に取り組み、五輪メダリストの輩出につながった。ボルゴグラード出身の陸上女子棒高跳びの元世界女王エレーナ・イシンバエワ(35)=写真上=は「勇敢な先人の歴史は、私の人生にも役立った。この街には不屈の精神が宿っている」と語る。

クラブは、現在はロシア2部リーグで戦う「ロートル」につながる。62年に完成したスタジアムを拠点に成長し、90年代にはスパルタクと覇権を争った。95年、欧州サッカー連盟(UEFA)杯(欧州リーグの前身大会)で、世界的強豪のマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)を2試合合計のアウェーゴール数の差で破った快挙は、今も語りぐさだ。

しかし21世紀に入って成績が低迷し、財政難に陥った。「旧ソ連の崩壊がスポーツ界にも混乱をもたらし、しばらく立ち直れなかった」とスタロバティフ。地元紙記者のセルゲイ・ココロフ(52)は「行政の支援が途絶え、クラブ経営が回らなくなった」と語る。一時はプロチームの資格を剥奪(はくだつ)されるなど紆余(うよ)曲折を経て昨年、最高峰のプレミアリーグに次ぐ2部リーグに昇格した。

W杯のために新設された約4万5000人収容のスタジアムは、ロートルの本拠地になる。80年代にFWとしてプレー、主将も務めたアレクサンドル・ニキーチン(57)=写真下=は建設中から何度も見学し、「ピッチに立つと、どれほどの歓声がこだまするか想像するだけで感動的だった」。

戦禍と復興の街で、W杯の4試合が開催される。ニキーチンは「43年に苦難の中で行われた試合は街に希望を与え、ロートルの誇りでもある。W杯も、スポーツやロートルの重要性を、人々が再認識する後押しになる」と期待している。(敬称略)

 

◇ソ連崩壊後の混乱

1991年12月にソ連が崩壊。急激な市場経済化が進められ、超インフレなど大きな混乱とマイナス成長が続いた。97年に国内総生産(GDP)がソ連崩壊後初めて前年比でプラスに転じたものの、98年8月、ロシア国債が債務不履行(デフォルト)に陥った。2000年代に入ってからは資源価格の上昇などを追い風に成長したが、14年にも原油価格の急落が国民生活に打撃を与えた。

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