吉田麻也の傷は成長の証し~「前へ」貫き守備磨く

プレミアリーグでの激しい競争を勝ち抜いてきた吉田(英サウサンプトン近郊で)=風間徹也撮影

サッカー日本代表のDF吉田麻也(サウサンプトン)は、イングランド・プレミアリーグで戦って6季目となる。10代からあこがれてきた舞台で積み重ねた試合出場は日本人最多の127(3日現在)。自身2度目となるワールドカップ(W杯)ロシア大会を前に、世界のトップ選手が集う環境でレベルアップに励み続ける。(ロンドン 風間徹也)

プレミアでの激しさは体中にできたアザが物語る。「ひどいもんですよ。脚は傷だらけ。こないだのチェルシー戦なんて(フランス代表の)ジルーと接触して」。シャツをたくし上げ、10センチほどもある背中の傷を見せた。「これが日常的だからね」と苦笑した。

J1名古屋でトップチーム昇格から3年で海外移籍をすると決め、計画通り2010年にオランダへ。そこでの活躍が認められた。

世界最高峰といわれるリーグで、<怪物ストライカー>は至るところにいた。「ワンチャンスをものにする選手ばかりで、5回のピンチで外してくれるのは1回あるかないか。日本なら3回、オランダでも2回は外してくれるのに」。下がりながらミスを待つ守備は通用せず、前に出てボールを奪う守備を磨いてきた。

チーム内のライバルも強力だった。今季途中にリバプールに移籍したオランダ代表のファンダイク、16年欧州選手権を制したポルトガル代表フォンテとも、かつてはポジションを争った。「僕は毎日、生きるか死ぬかで戦っている」。試合後、口癖のように言った。

アジア出身DFがあまり実績を残していない環境で、時にはゲーム主将も任されるほどの存在感を示せるのは、毎試合「全力で戦う」と言い聞かせてきたから。名古屋の下部組織時代、手を抜いた先輩に「何でやらないんだ」と食ってかかり、試合中に大げんかしたこともある。舞台は変わっても、ピッチでの厳しい姿勢は同じだ。

4月、左膝靱帯(じんたい)損傷から復帰した初戦はいきなりのアーセナル戦。世界的強豪クラブがひしめく中で、試合が終わると疲れ切って立ち上がれないことも多い。「極論を言えば、ここで結果を出せば、代表でも結果は出せる。毎日の戦いの先にW杯という報酬があると考えている」

5月中旬には英国でも自伝を出版する。タイトルは、「Unbeatable Mind」。折れない心で、ピッチに立ち続ける。

 

◆W杯「出し切る」

29歳で2度目のW杯を迎える吉田の心境は、初出場だった4年前のブラジル大会と明らかに異なる。「落ち着いていますよね。プレミアリーグや国際大会でキャリアを重ね、自信につながっている」

前回はサウサンプトンでの2季目がリーグ戦わずか8試合出場に終わった直後。「クラブでは蚊帳の外。『俺、大丈夫かな』って不安しかなかった」。ブラジルでは3試合にフル出場し、1分け2敗。去り際に残した言葉は覚えている。「100%の力を出せなかった」

翌シーズンからは20試合以上の出場機会を確保。ロシア大会で対戦する相手はレバンドフスキ(ポーランド)、ファルカオ、ロドリゲス(ともにコロンビア)、マネ(セネガル)とビッグネームばかりだが、「どうやったら止められるかにフォーカス(集中)して平常心で臨める」。経験を積んだからこその言葉だ。

代表のハリルホジッチ前監督解任に驚きはあったが、「結果が出なければ選手は出られず、監督は代えられる。自分が正しいと証明するには勝つしかない。サッカーとはそういう世界」。

W杯で鍵に挙げるのは「勢い」。前回大会で4失点して敗れたコロンビアとの初戦に、「最低でも引き分け。勝ったら相当勢いに乗れる」と雪辱を期す。4強入りした12年ロンドン五輪では、初戦で優勝候補のスペインを破った。「五輪では、もう立てないと思うくらい出し切った。100%を出し切りたい」。それが今大会に立てた誓いだ。

◇よしだ・まや 1988年、長崎県生まれ。名古屋の下部組織からトップに昇格し、2007年にJ1で初出場した。10年にオランダ1部のVVVフェンロへ移籍、12年、サウサンプトンに加入し、昨年4月に日本人初のプレミアリーグ通算100試合出場を果たした。08年北京五輪に続いて出場した12年ロンドン五輪ではオーバーエージ枠で主将を務め、4強入り。フル代表は10年1月に初出場し、通算80試合出場、10得点。1メートル89、78キロ。

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