[サッカーの惑星]ポーランド編(上)名手の古里「動く国境」

クローゼの写真が掲げられた体育館で、ドイツ語を学びながらサッカー練習に取り組む子供たち(オポーレ郊外で)

◆クローゼやポドルスキ

2014年7月13日、サッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会の優勝トロフィーを掲げるドイツ代表に、ポーランド国民が温かい視線を送った選手がいる。通算16点のW杯最多得点記録を打ち立てたミロスラフ・クローゼ(39)(引退)、背番号「10」のルーカス・ポドルスキ(32)(現J1神戸)。ポーランドに生まれ、幼い頃、両親に連れられて移住した地で代表の主力に上り詰めた。

2人の故郷、オポーレとグリビツェはともに南西部のシロンスク地方にある。ドイツ、チェコと国境を接して様々な民族が交わり、石炭などの資源も豊富なため重工業が盛んなこの一帯は歴史的に紛争にさらされ、〈動く国境〉が住民を翻弄(ほんろう)してきた。

エルネスト・ビリモフスキは、第2次世界大戦により<二つの代表>でプレーを強いられた。1938年W杯フランス大会、ポーランド代表として4得点をブラジル戦で決めたFWは翌年、シロンスクでドイツ軍の侵攻を受けた。「挙式の日に侵攻に遭い、断れずにドイツ代表としてプレーした。それなのに、戦後は裏切り者扱いだった」と、伝記を著した専門誌編集長、アンジェイ・ゴバジェフスキ(72)は語る。二度とポーランドのユニホームを着ることも、その地を踏むこともなかったという。

一方で、ドイツの敗戦により、ポーランド国境は西へ大幅に移動。これにより、ドイツ系住民がシロンスクに多く取り残されることにもなった。72年ミュンヘン五輪金メダリストのGKフーベルト・コストカ(77)らサッカー発展に貢献した選手も多い。ただ、70年代以降、ドイツへの帰還を希望する者に二重国籍の取得が容認されると、満足に食料も手に入らない共産圏を抜け出す人が続出。クローゼ、ポドルスキの両親もそうだった。

ポーランドにとって、6月開幕のロシア大会は3大会ぶりのW杯出場。もし2人が残っていたら歴史は変わったのでは――。そんな疑問に、国民の誰もが首を横に振る。クローゼの父と同じオドラ・オポーレでプロ選手だったボイチェフ・ティッツ(67)は「彼らはドイツで指導を受け、超一流になった。我々の指導環境はひどかった」。

クローゼはW杯での活躍によりオポーレの名誉市民となり、現地にはドイツ語を使って指導する、愛称の「ミロ」を冠したサッカー教室もできた。「彼はドイツ系住民の誇り。フェアプレーの精神を受け継ぎたかった。将来、子どもたちがどの国の代表に入っても、素晴らしいと呼ばれるように」と主催するラファウ・バルテック(40)。国境を超えた絆がシロンスクのサッカーを醸成していく。(敬称略)

 

◇ポーランドの国土

かつてはドイツと旧ソ連に挟まれ、何度も侵略された歴史を持つ。18世紀末には三国分割で地図上から消滅、1918年に独立を回復し、今年が100周年に当たる。39年に侵攻を受けてナチス・ドイツの占領下となるが、第2次大戦後、国家全体が西側に大きく移動する形で、東部国境沿いが旧ソ連領、ドイツ東部がポーランド領になった。

 

◆グループリーグH組、ポーランドの試合予定

(日付は現地時間、カッコ内は会場)

6月19日 セネガル戦(モスクワ・スパルタク)

24日 コロンビア戦(カザン)

28日 日本戦(ボルゴグラード)

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