[サッカーの惑星]ポーランド編(中)代表黄金期 国民の誇り

70年代の黄金時代について語るラト

◆東西冷戦下 勇気与える

ワルシャワにあるスポーツ観光博物館では、最初の展示エリアにサッカーの代表チームゆかりの品々が並ぶ。「我が国で最も輝かしい歴史を持つ競技。だから、最初に見てほしい」と、職員のピョートル・バレフスキ(31)は説明する。戦後初出場で3位になった1974年ワールドカップ(W杯)西ドイツ大会の記念品などが並ぶ。

「選手の大半が軍の将校を兼ねていた第2次大戦で、優秀な選手の多くが命を落とした」(バレフスキ)。スポーツ界だけでなく、国土全体が激戦地となった大戦の傷痕は深かった。共産圏に組み込まれたポーランドにとって復興に向けた国威発揚に大きな役割を果たしたのが、60年ローマ五輪でメダル21個と躍進したスポーツ、特に70年代に黄金期を迎えたサッカーだった。

70年代に政権を担ったエドワルド・ギエレクはサッカー好きで知られ、「欲しいものは何でも与える」と選手らに約束して、多くが20代前半で車を手に入れたという。そうした優遇策の中、「優秀な選手30人ほどが固まって現れた。今の代表にも十数人がいるが、それよりも強かったはずだ」と協会副会長のマレク・コジミンスキ(47)は説明する。

72年ミュンヘン五輪の金メダル獲得に始まる黄金期のクライマックスが、2年後のW杯だった。後に協会会長も務めた快足FWグジェゴシュ・ラト(68)らによる速攻を武器に、アルゼンチンやイタリアを撃破。8強による2次リーグ最終戦で西ドイツに惜敗したが、3位決定戦で強豪ブラジルに1―0の勝利。7得点で大会得点王となったラトは「ワルシャワに戻ると10万人が街を埋め尽くした。あの感動は忘れない」と語る。

自国通貨が国外では紙切れのように扱われ、人々はウォッカやソーセージを換金して買い物をしていた東西冷戦時代。代表を長く取材するステファン・シチェプウェック(69)=写真=は、「貧しい国だった我々が、サッカーでは世界と勝負できた。選手は英雄だった」と称賛する。

再び3位となった82年W杯スペイン大会も、特別な記憶として語り継がれている。前年に、戒厳令が施行され、試合を中継した国営放送は、観客席に民主化を支持するメッセージを見つけると、別の映像に切り替えたとされる。

「代表の試合は、閉鎖された国から外を見る『世界の窓』でもあった。苦しむ我々のために再びW杯3位に入った選手たちは、今も誇りだ」。シチェプウェックの言葉は、国民を勇気づけてきた代表チームの価値を端的に表している。(敬称略)

◆五輪での成績

夏冬とも独立後の1924年大会から出場し、国際オリンピック委員会(IOC)公式サイトによると金メダルは計72に上り、夏季五輪では80年モスクワ大会で最多のメダル32個(金3、銀14、銅15)を獲得した。サッカーでは、名将カジミエシュ・グルスキが率いた72年ミュンヘン大会で金、76年モントリオール大会で銀に輝き、92年バルセロナ大会でも銀を獲得している。冬はスキージャンプ男子が強く、カミル・ストッフが2月の平昌(ピョンチャン)大会の個人ラージヒルで連覇を果たした。

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