[サッカーの惑星]パナマ編(上)運河返還 「野球の国」変えた

◆強豪押しのけ W杯初出場

「サッカーで国が一つになったのは初めてだ。パナマで一番人気があるスポーツは野球だが、サッカーが追いついた」。昨年10月10日、11度目の挑戦で初の本大会出場を決めたワールドカップ(W杯)ロシア大会の北中米カリブ海地域最終予選、コスタリカ戦を実況していたベテランアナウンサー、デービッド・サムディオ(53)は、興奮気味に振り返る。

突破にはまず勝利が必要だったコスタリカ戦は、後半終了間際に勝ち越す劇的な展開だった。フアン・カルロス・バレラ大統領は、翌日を国民の休日とすることを発表。北海道よりやや狭い約7万5000平方キロの国土に暮らす約400万の国民は、夜通しのお祭り騒ぎを繰り広げた。

太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河で有名なパナマ。他の中南米諸国同様、スペインの植民地時代にサッカーが広まったが、パナマ運河の管理権を保有していた米国の影響で、野球の方が盛んだった。「運河地帯では米軍らを中心に野球が行われ、米軍チームとパナマ人のチームが対戦していた。1940年代には全国選手権も始まった」。元パナマ五輪委技術委員長のトロアディオ・フェルナンデス(77)が説明する。

イチローに抜かれるまで米国出身者以外で大リーグ最多だった通算3053安打のロッド・カルーは、米国統治下のパナマ運河地帯出身。史上最多の652セーブを挙げたマリアーノ・リベラ、日本で活躍したズレータ(ソフトバンクなど)、セギノール(日本ハムなど)らもパナマ生まれだ。一方、78年大会で初めてW杯予選に参加したサッカーは、米国、メキシコなど強国がひしめく地区予選をなかなか勝ち抜けなかった。

強化が進んだのは、99年のパナマ運河返還後。経済成長とともにスポンサー料やテレビ放映権料がサッカー界に入るようになり、パナマサッカー連盟の収入は、2010年の230万ドル(約2億5000万円)から、16年は850万ドル(約9億3000万円)に増えた。連盟はユース世代の強化を先行させ、03年以降、U―20W杯に5度、U―17W杯に2度出場。経験を積んだ選手たちがフル代表に成長し、悲願を達成した。

「これからは毎回、W杯に出場しなければならない。今はそのための戦略を立てているところだ」と、連盟事務総長のエドゥアルド・バカーロ(51)。米国が建設した運河によってマイナーな存在に甘んじていたサッカーが今、運河がもたらす経済力で急速に力を付けている。初めてW杯のピッチに立つ代表チームは、米国からの「独立」を象徴する存在だ。(敬称略)

◆パナマ運河

フランスの建設失敗を受け、1903年のパナマ運河条約で米国が建設権と両岸一帯の永久租借権を得て着工、14年に完成させた。戦略上の要衝でもあり、米軍は冷戦中も駐留。管理・運営権は99年にパナマ政府に返還され、米軍も撤退した。総延長約80キロ。2016年には最大貨物量が約3倍に拡張された新運河が完成した。年間約1万3500隻が通過する。

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