「まとめ役」を担い8年~長谷部誠インタビュー

気配りの人との評にも、自身は「大雑把になっている気がする」という(4月2日、独フランクフルトで)=青柳庸介撮影

◆ハリル監督解任 選手の責任重い/「橋渡し役」若手の声引き出す/W杯まで2か月「前向くしか」

6月14日開幕のサッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会に挑む日本代表の主将、MF長谷部誠(フランクフルト)。ハリルホジッチ前監督が解任され、西野朗氏が新監督に就任した今、34歳にかかる期待は大きく、その使命は重い。日本代表の「まとめ役」を担い始めて、もうすぐ8年。自身が抱くリーダー像は、歳月とともに少しずつ変わってきた。ロシアでの挑戦を前に、何を思うのか――。(独フランクフルトで、青柳庸介、岡田浩幸)

9日、ハリルホジッチ前監督の解任が発表された約7時間後、ドイツ・フランクフルトの練習場にいた。「言葉を選ぶのが難しい」と切り出し、考えを巡らせた。「いろいろな部分を見ているので選手の責任が大きいと感じる。中でもキャプテンを任せてもらった自分の責任が一番重い」

1分け1敗で解任の決定打となった3月のベルギー遠征で、選手たちはチームへの思いや考えを様々、口にした。それを「指示通りからの脱皮」「自覚の高まり」と見る人もいれば、「采配への異論」「意思統一のなさ」と捉える人もいた。

世界各国から選手が集まるチームに所属する海外組は、考えの相違や意見のぶつけ合いに慣れている。長谷部も「それぞれの考えを、一つにまとめる必要はない」と一貫していた。もちろんW杯に向けて危機感はあるが、「個々の質が劣っていた」という現実へのもの。「監督うんぬんではなく、選手自身にベクトルを向けなければいけない」と痛感した遠征だった。

「考えを一つにまとめる必要はない」――。自らの存在意義を打ち消すような言葉を大切にしている。

2010年のW杯直前、当時の岡田武史監督からゲーム主将を任された頃は「『雰囲気を良くしないと』『考えを一つに』とすごく考えた」。その後、FW本田圭佑(パチューカ)らの強い向上心がチームを前進させるさまも見てきた。

最近は、「それぞれの考え方や価値観を尊重しながら、『勝利』『日本代表が良くなる』という目的さえ見失わなければ、いろいろなアプローチがある」と信じる。同じ頂を目指すなら、同じ道を登らなくてもいい。幅のある構えだ。

放任とは違う。様々な関係をつなぐ橋渡し役として、むしろ忙しい。「宿舎ではミーティングや選手と話す時間が、クラブでは考えられないほど多い」。内に秘めるタイプの多い若手の声も引き出そうとする。

「全員を気にかけてくれて、それを表に出さない。僕らは後になって『ハセさんのおかげだ』と気付く」「気配りがこまやかで、洗練されている」。そんなふうにチーム内で慕われる。

ハリルホジッチ氏とも「本音で話し合ってきた」。08年から日本人最多の250試合以上を戦ってきたドイツで、もっと苛烈な鬼軍曹タイプの指導者とも出会い、「どんな監督とも一緒にできる」と、肩ひじ張らないチームの<潤滑油>でいた。ただ、解任という事態に「選手同士のコミュニケーションも、自分が率先しなければいけなかった」と、やはり悔いが残る。

W杯まで約2か月。「前を向くしかない」とも言い聞かせる。危機感も、後悔も、力に変えるチームにしたい。そんな輪を、どう形作るか。イメージは簡単に描けないかもしれない。ただ、信じている。自分が日本代表を「崇高な場所」と思うように、誰の胸にも、使命感はあるのだと――。

◆「恩返し」地元にスポーツクラブ

2017年春、故郷の静岡県藤枝市で子供たちにサッカーを教えるスポーツクラブを創設した。地元への恩返しは念願だった。

普段は直接の手ほどきはできないから、3~5分間の動画メッセージを月2回、子供たちに届ける。「あいさつ」「感謝」などをテーマに、「ありがとう」と伝えたり、相手の目を見て話したりする大切さを考えてもらう。技術指導より、「考える力」や習慣付けを大事にする。

自作の動画は学年によって内容や言葉遣いを変え、旅先の景色を映して「どの国でしょう」とクイズを出す時もある。小学1、2年生に「リスペクト(尊敬)を、すごく丁寧に分かりやすく言ったつもりなんだけど、ポカーンってなっちゃっていた」という失敗談も。子供たちから寄せられる手紙やメールが励みだ。

浜松市にも活動拠点が増えた。「日本は島国だから、海外のものに触れる機会を増やしたい。普段から『これ、(動画に)使えそうだな』って、どこにいても考えていますね」

◆ユニセフ活動・復興に尽力

国連児童基金(ユニセフ)の活動に携わるなど、ピッチ外でもスポーツの価値を高めてきた。2016年12月、日本ユニセフ協会大使に就任。日本のスポーツ選手で唯一の栄誉だ。17年5月にはエチオピアを訪ね、はしかのワクチンを村落の子供たちに届ける作業を手伝った。「環境は厳しくても、人々の人間性、美しさを感じた。人生を豊かにしてくれる経験だった」

J1浦和時代の07年、遠征の機内で手にした冊子でユニセフへの定期寄付を知り、「一歩踏み出してみよう」と個人的に始めた。「『足長おじさん』的な存在が格好いい、という考え」だったが、最近は慈善活動を公にすることで「人を巻き込み、より多くの協力を得られる」とも考える。ドイツのクラブは社会貢献活動に熱心で、チームメートからスパイクを集めて母国に送る選手もいる。そんな文化に触れたから、公にしない美徳にも、立場を生かす意義にも共感している。

11年、東日本大震災の5日後に発売された著書「心を整える。」(幻冬舎)の印税も全額、被災地に寄付した。発売延期も話し合われたというが、「何ができるか」と自問し、寄付を決断。ミリオンセラーとなり、津波で流された「あさひ幼稚園」(宮城県南三陸町)が再建された。

定期的に訪れ、子供たちと交流する幼稚園を「すごく大きな心のよりどころ」と表現する。復興の歩みを見られるからだけではない。「日本中の方々が本を購入してくださった意味は、被災地への寄付。あさひ幼稚園は、そういう方々の思いまで感じられる場所。お金とかには置き換えられない、大きな財産になっている」

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